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Jun Fan Gung-Fu -​振藩功夫-

What is JunFan Gung-Fu?
ジュンファングンフーとは、ブルース・リーによって詠春拳を改良し創られた武術であり、技術的な核は詠春拳であるが、他の武術/格闘技の経験も取り入れられ、直線的且つ短打である詠春拳に曲線的な技法を加え、実戦向きに改良されていったため、振藩功夫(ジュンファン・グンフー)と名付けられた。
※振藩(ジュンファン)とはブルース・リーの中国名(李振藩)

それ故1962年当時、ブルース・リーが開設した武術スクールの名称も『振藩功夫國術館(ジュンファン・グンフー・インスティテュート)』と名付けられた。

 

技法は接触法・交叉法​を主とし構えの両手を制圧し撃つ、防御から攻撃(打撃・投げ・擒拿)に基づく攻防一体の戦闘方法である。

Si-Fu Ted Wong&Si-Fu Hiro Watanabe
Trapping(交叉法✖擒拿術) by Si-Fu Ted Wong
Trapping(交叉法✖擒拿術) by Si-Fu Ted Wong
The History of JunFan Gung-Fu
《 1965~1966》

・功夫以外の武術・格闘技を交流及び、書籍から深い洞察力を持ってリサーチを開始する。

それは表面的な技術だけを取り込む事ではなく、技術として表現されるその裏側、つまり科学的な原理をリサーチしつつ、他国の技術を独自の考えによって改良し更に発展させて行く事であった。

この時期特に始祖が注目したのがフェンシングとボクシングであった。

《 1967》

・第三の武館をロサンゼルスに開設し、振藩功夫の指導を行っていく。

​同年夏、進化させた戦闘理論から“ジークンドー”という名称が生まれ使い出すが、この時点ではまだジークンドーとしての基礎構造や、基本的な技術は完成されていなかった。

《 1968~1969》

・1967年8月より、テッド・ウォン師父をワークアウトパートナーとし、ジークンドーを徐々に進化させて行く中、武館とセミプライベートレッスンにおいては、あくまで進化させた振藩功夫を指導していた。

《 1970》

・3つの武館を閉鎖。

振藩功夫の指導を行わなくなり、その進化がストップする。

​以降、プライベートレッスンによるジークンドーの指導だけとなる。

Si-Fu Ted Wong&Si-Fu Hiro Watanabe
The History of JunFan Gung-Fu
《 1954》

・香港詠春拳の一代宗師と言われた“葉門(イップマン)”が教える詠春拳の武館入門する。

《 1954~1958》

・ブルース・リー始祖が教わった詠春拳は、その5割が当時葉門の高弟四天王の一人であった、黄淳梁(ウォン・チョェン・リョン)から学んだものである。残りの三割が兄弟子にあたる張卓慶(チョン・ツェョック・ヒン)から学び、葉門から学んだ技術は二割程度だった。

《 1959》

・精武体育会香港分会において、約1カ月程、総教練であった“招漢生(シィウ・ホンサン)”より北拳​、南拳の基本功と節拳、功力拳、弾腿等を学ぶ。

《 1959~1964》

・米国、シアトルにて詠春拳の指導を始める。

​1963年、自身の武館『振藩功夫國術館』を創設すると共に、自身の考察により詠春拳を改良。又、他の中国武術の技術を融合させ、自身の武術を振藩功夫と命名する。

《 1964》

・米国、オークランドにて第2の武館を開設する。

​1964年暮れ、ブルース・リー始祖が大きく進化を遂げる出来事が起こる。かの有名な『ウォン・ジャックマン(白鶴拳)との実戦試合』がそれで、勝利を収めるものの、この時に学んで来た詠春拳や他の功夫が、始祖の理想とする実戦の中では役に立たないことを実感する。

​Counter Trapping by Si-Fu Hiro Watanabe
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